鈴木かつひろプロフィール

未来を創れる人を創る

鈴木 かつひろ

2009~2013年
東京都議会議員略歴
総務委員会委員(平成21年~平成22年)
財政委員会委員(平成22年~平成23年)
都議会民主党総務副会長(平成24年)
文教委員会委員(平成24年~現在)
公営企業決算委員会委員(平成21年)
一般会計決算委員会委員(平成24年)
財団法人東京都スポーツ文化事業団評議員
東京都中央卸市場取引業務運営協議会委員

略歴
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昭和32年9月7日 東京都足立区生まれ (2017年現在59歳)
昭和50年 私立早稲田高校卒業
昭和56年 中央大学法学部法律学科卒業
昭和58年 株式会社リクルート
「とらばーゆ」「じゃらん」「ケイコとマナブ」
「エービーロード」などの情報誌ビジネスに15年間携わる。
平成9年 株式会社トランスコスモス
ITコンサルティング会社でITビジネスの専門家として活躍する。
平成10年 株式会社ディジット
雑誌とインターネットを組み合わせた新形態のビジネスモデルで企業を設立し、 ナスダック上場を果たし、ベンチャー企業の草分けとなる。
平成15年 株式会社ナガセPCスクール
社会人教育のためのITスクールを設立し、年間1000名を超える就職セミナーを実施し、フリーターやニートの社員化に尽力。
平成18年 株式会社アポプラスステーション
ジェネリック薬品の普及や再編する製薬業界に向け人材総合ビジネスを展開。製薬メーカーの営業担当(MR)を400名抱える日本初の事業に挑戦
2007年4月 東京都議会議員補欠選挙で民主党公認候補(足立区)となる。64783票獲得するが次点で敗れる。
2009年7月 東京都議会議員選挙トップ当選(47,245票)
2013年 都議会議員選挙にて次点惜敗
~2017年 小規模多機能じゃすみんの施設長を経験。認知症・介護・医療の現場から超高齢化社会の課題について提言し、 足立区で5万人の認知症サポーター育成を目標に活動中。
「鈴木かつひろ」はこんな人
政治理念 未来をつくれる人をつくる
家族 妻 長男 長女 (4人家族)
座右の銘 自ら機会をつくりだし、機会によって自らを変えよ
趣味 読書、ゴルフ、ジョギング、音楽鑑賞、愛犬との散歩

弟と二人兄弟私の幼少時代
足立区鹿浜に生まれる。区画整理が始まるまでは、周りは田んぼばかりの東京の農村地域、近所の子供たちと毎日遅くまで外で飛び回っていた。このころの思い出は、四手網での魚とりの興奮、冬の寒さによる手のあかぎれの痛み、四季の草花のにおい、など体に染み付いている。
星美学園小学校時代
毎日の登下校はバス通学、今でも同じ学校に通う小学生をバスで見かけると自分のことを思い出す。ランドセルがとても大きく見える姿は、愛おしいとともに不安にもなる。神様がいつも見ていて、悪いことをしてもお許し下さる、だけど日々徳の花を咲かせることが重要であること、そして他人を決して傷つけてはいけないことなど、カトリックの学びの園は、私の幼少のころの倫理観をはぐくんだと思う。
(左写真:弟と二人兄弟)

早稲田中学・高校時代早稲田中学の同級生と
多くの友人ができた。私の席にはいつも人だかりができる。仲間は決して偏っていなかった。ワルから優等生、クラブもクラスもばらばら、人気者ではなかったけれど、人が集まる場所となる、オアシスみたいなものかな。多くの仲間は、本当にさまざまな人生を歩んでいます。クラブ活動は卓球部とバレーボール部、2つともオリンピックに感化されて入部、卓球は長谷川、伊藤という世界チャンピオンに憧れ、バレーはご存知、ミュンヘンの男子バレー奇跡の金メダルに憧れました。オリンピックは子供に大きな夢を与える、本当です。校風の良さは、とにかく自由なところ、何にでも本人任せでした。自分で考え、自分で行動し、責任を取るということがわかるようになる。青春の時代に学ぶべき、人としての基本を学ばせていただいたと思う。先生方に感謝です。勉強は嫌いでした。だけど成績は悪くなかったと思います。熱中できる科目がなかったことが残念です。
(右写真:早稲田中学の同級生と)

中央大学法学部時代秋田犬ジョンと
よく遊びよく学ぶ大学生時代でした。高校時代の反動ですが。すべてに熱中していましたね。法律や歴史、文学、音楽などさまざまな分野に興味を持ちましたね。もちろん女の子ともよく遊びました。ディスコの全盛期、六本木や赤坂にも出没していました。3年生のときに外交官を志します。外交官試験の受験勉強のために中央大学外交研究会に入会します。一緒に勉強した仲間はさまざまな分野で活躍しています。私の人生を大きく左右する人との出会いがありました。外務官僚、商社マン、政治家、法曹界、研究者などさまざまな分野に仲間がいます。人生の梁山泊と呼ぶべき場所でした。このころ私は外務省に入り、外交を通じて世界を知り、国益を知り、政治家になることを夢見ていました。卒業後、2年間夢を捨てきれず浪人生活を送ったことも今では良き思い出です。青年期の志は必ず人生の中で諦めなければ果たされると確信しています。
(右写真:秋田犬ジョンと)

リクルート時代リクルート時代
社会人としてのスタートはリクルートでした。
最初はアルバイトの営業からです。負けず嫌いな私は正社員よりも良い成績を上げるために、たぶん3倍ぐらいの仕事量をしていたと思います。すぐに正社員の道が開かれ、そしてすぐに管理職にもなりました。
社会人としてはスタートが出遅れたわけですが、リクルートのすばらしいところは、アルバイトや契約社員にも、社員と同じチャンスが用意されているところです。男女や雇用契約の違いがあっても、仕事では対等に評価してくれ、かつ、待遇してくれる。この会社との出会いは、私にとって、社会人としてのあり方や、企業としての考え方など、大変影響を受けた会社でした。そして江副さんという稀有の起業家とも出会えたわけです。
リクルート時代の私の自慢は、常に自分たちの情報誌を自ら世に送り出すことで時代を創りだしてきたということです。就職情報の創刊は、中途採用を新卒採用と同様の、企業にとっての重要な採用方法に変えました。そして人材の流動をスムーズにすることにより、日本の高度成長を人材面で支えました。エービーロードの創刊は、海外旅行社1000万人を実現し、日本人の世界を知る民間外交を実現したのです。ケイコとマナブの創刊は、趣味を広げ、新しい技術や知識を身につけるために、社会人として学ぶことの重要性を問う情報誌です。
現在多くの若者が職に付けないのは、職業訓練がこの国の制度として充分に備わっていないことが指摘されています。自分の好きな仕事を手に入れるために創刊されたこの情報誌は再雇用のための情報誌でもあるのです。
リクルートの社員としてこのように多くの情報誌にかかわれたことは、私の人生の原点にもなっています。私の座右の銘のひとつ、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」は、リクルートの理念であり、リクルートの社訓です。そして私が自ら唱えていることのひとつに「未来を創れる人を創る」という言葉があります。
私の政治理念のひとつは、人創り。人生を自分のちからで創れる力を持つ若者を育てることこそ日本の未来を創ることです。

とらばーゆ AB-ROAD ケイコとマナブ じゃらん
集合写真
営業目標達成に盛り上がる仲間たち(上から列目中央が鈴木)
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「リクルート」を卒業し、ベンチャー企業で上場
情報誌アイウェディング今から20年前、まさにインターネットがアメリカで誕生しました。この画期的な情報伝達ツールが世界を大きく変えることを確信し、トランスコスモス(株)に転職しました。現トランスコスモス会長の船津さんや現社長の奥田さんとインターネットビジネスのさきがけとなりました。

その後、リクルートの仲間とベンチャー企業(株式会社ディジット)を立ち上げ、ナスダックに上場を果たします。
ビジネスモデルは、情報誌+インターネット+リアル店舗という日本で初めてのビジネス展開をしました。今では、当たり前になっているマーケティングセールスですが、日本で初めての挑戦でした。アイウェディングという情報誌の発行は、当時のリクルートをはじめ情報産業に大きな影響を与えたと思っています。

なぜ、ベンチャーから政治の世界にとらばーゆしたのか
,よく転職を考える人に私はこう言います。「自分のやりたいことがあるのなら躊躇せずに飛び込むこと、そして、新しい自分を発見しながら懸命に努力し、後悔しないこと。」 政治家になる思いは、大学生の時からありましたが、そのチャンスを自らつかんだということです。そしてまさに政治家は私の天職だといえるように努力を惜しむことなく精進してまいりたいと思っています。


中央大学法学部後輩の学生さんたちと未来を創れる人を創る
前都議会議員時代、鈴木かつひろ議員の大学の後輩にあたる、中央大学法学部の現役大学生の皆さんと東京都議会を視察。議会のありかたや都政について意見交換をしました。未来を担う若い人達とも定期的に集会を開き、後進の指導やさまざまな意見・要望を集約して、積極的に都政に活かすべく活動を行なっています。

.「認知症サポーター育成」
厚生労働省や東京都が推進する最重要事業を
足立区の窓口として精力的に活動

【住み慣れた街で豊かな老後を過ごして欲しい】
小規模多機能じゃすみんの施設長を経験。その後、認知症・介護・医療の現場から超高齢化社会の課題について提言し、 足立区で5万人の認知症サポーター育成を目標に活動中。